はじめに
長野高校が北信地区のトップ校であることは誰もが認めるところであり、その地位が揺らぐことは今後もないだろう。しかし、その次点となる高校については意見が分かれる。
かつて旧学区のトップ校として君臨していた須坂高校や屋代高校に加え、長野吉田高校や長野西高校も進学実績を伸ばしている。
本記事では、旧12学区制から4学区制への移行を経て、北信地区の進学校の勢力図がどのように変化したのかを、須坂高校、長野吉田高校、長野西高校、屋代高校の比較を通して探る。
旧12学区制時代の勢力図
かつての12学区制では、各地域にトップ校が存在し、地域の優秀層がその高校に進学するのが一般的であった。
須坂高校:旧第2学区のトップ校として、地元の進学志向の強い優秀な生徒が多く集まった。
屋代高校:同じく旧第4学区のトップ校として、地元の進学志向の強い優秀な生徒が多く集まった。
長野吉田高校・長野西高校:旧第3学区において、2番手・3番手の位置にあり、トップ層は長野高校へ進学するものの、人口の多い長野市内にあるため一定のレベルを保っていた。
4学区制への移行とその影響
2004年に4学区制に移行したことで、受験生の学校選択の自由度が高まり、勢力図にも大きな変化が生じた。その中でも特に目立つのが、屋代高校の伸長と須坂高校の停滞 である。
屋代高校の伸長
屋代高校が偏差値を伸ばした要因として、以下の施策が挙げられる。
理数科の存在:理数科の魅力を前面に打ち出すことで、長野高校や上田高校へ進学できるレベルの層の一部を取り込むことに成功した。
中高一貫教育の導入:中学から優秀な生徒を確保し、他地域への過度な流出を防ぐことができた。
進学実績の強化:難関大学への進学実績を着実に伸ばし、進学志向の高い生徒や保護者の支持を得た。
須坂高校の停滞
一方で、須坂高校は目立った施策を打たなかったことが響き、優秀層の流出が進んでしまった。
長野高校への流出:もともとあった流出傾向がさらに加速。
吉田高校・西高校への流出:近年、須坂高校の進学実績が伸び悩む中、吉田高校や西高校を選択する生徒が増えた。
地域の進学志向の変化:かつては「長野高校に行けなければ須坂高校」という流れが一般的だったが、「吉田高校や西高校に行きたい」と考える層が増えてきた。
須坂・屋代の両校はともに長野市に近く、アクセスが良好であるため、学区拡大により地元の優秀層が流出するリスクを抱えたことは共通であった。
しかし、屋代はその状況を逆手に取ることでさらに実績をあげ、結果として須坂と屋代の明暗が分かれることとなった。
長野吉田高校・長野西高校の存在感
須坂高校からの流出先として、長野吉田高校・長野西高校が挙げられる。
長野市内の好立地であることで毎年高い人気を誇っているが、近年は更に存在感が増している。
進学実績の向上:吉田高校・長野西高校は近年、国公立大学進学実績を伸ばしており、進学志向のある生徒や保護者からの評価が高まっている。
須坂高校の代替校としての選択:かつて須坂高校に進学していた層が吉田高校・長野西高校に流れ込んでいる。
通学の利便性:長野電鉄が長野市と須坂市や中野市などの上高井地域を結んでいるため、通学の利便性が高い。
須坂高校の今後の課題
少子化の進行が速い地域でもあり、このまま流出が加速すると更に凋落し行く末は学校統合の対象となることも考えられる。盛り返すためには何か特色のある教育プログラムを打ち出し、優秀層を引き留める工夫が必須になるだろう。
まとめ
北信地区において長野高校がトップの地位を維持する中、次点の高校としての立ち位置には変化が生じている。
・屋代高校は施策が功を奏し、伸びた。
・須坂高校は特に施策を打たず、停滞した。
・吉田高校や西高校は、新たな選択肢として浮上してきた。
今後も学区制度や受験生の志向によって変化が予想されるが、須坂高校が再び地位を確立するには、大胆な改革が必要になるだろう。
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