長野市北部の公立普通科高校の学力序列を見たとき、長野東高校は長野高校・長野吉田高校・長野西高校に次ぐ4番手とされることが多い。しかし、1974年に新設された当初の状況を考えると、もう少し上位に位置してもおかしくなかったのではないか。
その背景にはどのような要因があったのかを考察する。
1974年の設立背景
長野市の生徒数増加に対応するため、長野東高校は1974年に長野市大豆島の地で開校した。
開校当時、長野西高校は女子校であり、長野高校に届かない男子生徒の近隣の進学先としては、長野吉田高校に限られていたが、そこに長野東高校が有力な選択肢として加わった形になる。
しかし現在、長野東高校は長野西高校に次ぐ4番手校とされることが一般的であり、上位校としての地位を確立するには至らなかった。
この要因について、大きく2つの視点から考えたい。
要因1:長野県の県民性と新設校の受け入れ
長野県は歴史や伝統を重視する傾向が強い。長野高校や松本深志高校をはじめとする旧制中学を母体とした伝統校が今もなお各地区のトップ校として君臨しているのは、その証左である。
1974年開校の長野東高校は、受験生や保護者の間で「伝統のある学校」としてのイメージを醸成しにくく、開校当初から一定ハンデを負っていたといえる。

要因2:校地の立地とアクセスの問題
もう一つの要因として、長野東高校の立地が挙げられる。
校地となった長野市東部の大豆島地区は長野市の中心部から距離がある上に、鉄道駅からのアクセスも悪く、通学の利便性は決して良いとは言えない。これにより、志願する生徒が限定的となり、人気が伸びにくかった可能性がある。
校地選定の背景には、他校が長野市中心部に偏在していたことへの対応という側面があるため、大豆島地区への設置は理解できる。しかし、もう少し交通の便を考慮した場所に校地選定されていたら、志願者数や生徒の学力層にも影響を及ぼし、現在の学力序列に違いが生じていたのではないだろうか。例えば、若里地区あたりは近隣に高校は少なく、長野駅からも程遠くないので、より多くの生徒にとって魅力的な選択肢になり得た可能性がある。

おわりに
長野東高校が現在の位置にとどまっている背景には、長野県の伝統を重んじる県民性と、学校の立地という2つの要因が大きく関わっていると考えられる。もちろん、教育内容や学校の特色も重要な要素ではあるが、学校の学力序列を決める上で、歴史的背景や立地条件が大きな影響を持つことは否めないだろう。
今後、長野東高校はスーパーフレックス新校として再編される計画があり、これによって新たな特色を打ち出すことが期待される。
どのような教育方針や特色を持つ学校へと進化していくのか、今後の展開に注目したい。
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