今回は番外編として、学校と並ぶ地域の象徴「鉄道」を取り上げます。通学や通勤を通じて、鉄道と学校は密接に関わってきました。長野県に関心のある読者の皆さまにとっても、興味深く読んでいただける内容ではないかと思います。
県内唯一、「信州」を冠した駅
駅名が重複する場合、混同を避けるために旧国名などを頭につけて区別するのが通例です。長野県では「信濃」を付けることが多く、地域によっては「伊那」や「安曇」などを使うこともあります。
そんな中、県内でただ一つ、「信濃」ではなく「信州(しんしゅう)」を冠した駅があります。それが長野電鉄の信州中野駅です。
信州中野駅は1923年に河東鉄道(現在の長野電鉄)の駅として開業時しますが、当時すでに東京に「中野駅」が存在していたため、混同を避けるために、「信州中野駅」と名付けられたと考えられています。
なぜ「信州」中野なのか?
同じように旧国名を使うなら「信濃中野」とした方が自然です。実際、長野電鉄には「信濃吉田」「信濃竹原」など「信濃」を冠した駅が複数存在しています。
ではなぜ、あえて「信州」だったのでしょうか?
結論から言えば、その理由は明確にはわかっていません。ただ、私はこう推測しています。
おそらく「信濃中野(しなのなかの)」では“の”が続いて語呂が悪く、「信州中野」の方が音の響きが良かったためではないでしょうか。命名の際に語感を優先した可能性があります。
(※あくまで私の推測です。異なるご意見や情報をお持ちの方は、ぜひコメント欄やお問い合わせフォームからお知らせいただけると幸いです。)
では「信濃浅野」は?
同様の例として、飯山線の信濃浅野(しなのあさの)駅があります。こちらも「の」が続いています。これを考えると、語呂の問題だけで「信州中野」が選ばれたとは言い切れないとも言えそうです。
しかし、信濃浅野駅には歴史的な背景があります。
この駅は1921年、飯山鉄道(当時は私鉄)によって「信州浅野駅」として開業しました。しかし、1944年に国有化されて国鉄飯山線の一部となった際に、「信濃浅野駅」へと名称が変更されました。
この変更には、当時の国鉄が「○州」などの俗称的な旧国名を駅名に使うことを避ける方針があったとされています。
飯山鉄道時代には「信州浅野」の他にも、「信州平」や「信州白鳥」といった駅が存在しており、「信濃」は使われていませんでした。これらも、おそらく最初に命名された「信州浅野」に合わせていたのでしょう。
それらの駅も、国有化にともない「信濃平」「信濃白鳥」へと改称されています。
信州中野駅がそのまま残った理由
一方、信州中野駅は長野電鉄(私鉄)として一貫して運営されてきたため、国有化による命名方針の影響を受けていません。その結果、開業以来、駅名は「信州中野」のまま今日に至っています。
さらに「信州中野」という名称は、駅名にとどまらず、地域名・観光ブランドとしても広く浸透していきました。たとえば、1995年に供用開始された上信越自動車道の「信州中野IC」にも同様の名称が採用されています。
これは、駅名としての「信州中野」が地域全体のイメージ形成に貢献してきたことを示していると言えるでしょう。
終わりに
駅名には、その土地の歴史や背景が色濃く反映されています。「信州中野」という名は、音の響きや希少性に加え、私鉄としての独自性、そして地域ブランド形成といった様々な要素が込められています。
長野県の駅名に興味がある方は、こうした駅名の変遷や旧国名の使われ方に注目してみると、鉄道や地域の歴史がより面白く見えてくるかもしれません。
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