2029年度から、伊那市の私立・伊那西高等学校が男女共学へ移行する。学校法人高松学園が4月28日に発表した。 上伊那・下伊那の両地域では、男子が通える私立高校がほぼ存在しない。この状況を踏まえると、今回の共学化は一校の方針転換にとどまらず、地域の教育構造そのものに影響を与える可能性がある。
以下では、共学化の「タイミング」、学校の来歴、地域構造との関係を順に整理していく。
2029年という「タイミング」の意味
今回の発表でまず注目されるのは、共学化の時期だ。 伊那北高校と伊那弥生ヶ丘高校が統合して誕生する「新・伊那高校」は2028年度に開校予定であり、その翌年に伊那西が共学化する流れは、偶然とは考えにくい。
公立高校の再編は、私立にとっても大きな環境変化だ。 大型公立校が誕生すれば、地域の進学動線は必ず変わる。 たとえば、これまで「伊那北か弥生か」という選択だったものが、「新・伊那高校を受けるかどうか」という一本化された判断に変わるように、受験行動の前提が書き換わる。
その変化を見越し、男子生徒も含めた新たな需要を取り込む――共学化は、そうした経営判断として十分に合理的だ
充足率が語る「経営の現実」
共学化の最も直接的な要因は、定員充足率の低下だろう。設置者である高松学園が公開している事業報告書によると、伊那西と姉妹校・飯田女子の充足率は以下のように推移している。
| 年度 | 飯田女子 | 伊那西 |
|---|---|---|
| 令和3年度 | 81.8% | 79.6% |
| 令和4年度 | 81.2% | 77.1% |
| 令和5年度 | 85.9% | 69.7% |
| 令和6年度 | 83.1% | 67.6% |
| 令和7年度 | 76.3% | 71.0% |
出典:学校法人高松学園「令和6年度事業報告書」
「伊那西」という校名に込められた歴史
伊那西高校の来歴を遡ると、この学校が複数の組織を経てきた複雑な歴史を持つことがわかる。
創立当初の校名は「伊那女子高等学校」。 現在の校名になったのは、経営移管を受けて改称した1985年(昭和60年)だ。
創立したのは長野県を代表する教育事業グループ・信学会(学校法人信州学園)。 同グループはほぼ同時期(1964年)に佐久市でも佐久高校(現・佐久長聖高校)を開校しているが、佐久が当初から共学であったのに対し、なぜ伊那では女子校にしたのか――ここに一つの謎がある。
1966年当時の伊那には伊那弥生ヶ丘高校(当時は女子校)が存在しており、私立女子校として参入すれば最大の競合と正面からぶつかる形になる。 公立校に授業料でも勝てないなかで女子校として参入するのは、経営的にはリスクが大きい。
それでも女子校として設立したのだとすれば、「ビジネス以外の動機」があったと考える方が自然だ。 たとえば、
- 高松学園(浄土真宗系)との関係が創立当初から存在した
- 将来的な移管を見越した設立だった
といった可能性がある。 (公開情報が限られるため推察の域を出ないが、18年後に摩擦なく移管が実現した事実は示唆的だ
- 1966
学校法人信州学園(信学会グループ)が伊那女子高等学校を開校 長野県を代表する教育事業グループ・信学会が設立。同グループは同時期(1964年)に佐久市でも佐久高校(現・佐久長聖高校)を開校している。
- 1984
学校法人高松学園へ経営移管 飯田市を本拠とし、飯田女子高校・飯田短期大学などを運営する浄土真宗系の学園が経営を引き受ける。信学会グループの公式サイトの沿革にも記載はあるが、移管の経緯の詳細は公開されていない。
- 1985
伊那西高等学校に改称、「昭和60年開校」として再出発 高松学園・伊那西のいずれの公式サイトも「開校昭和60年」と記載しており、伊那女子時代の歴史を公式には引き継いでいない。経営移管とともに前身校の歴史を意図的に切り離した可能性がある。
- 2029
男女共学化(予定) 「女子」を名称から外して40年。ようやく名実ともに共学校となる。
また、「伊那西高校」という校名だけを見ると女子校であることは直感的に分からない。 創立時の名称「伊那女子高校」を残す選択肢もあったはずだが、経営移管のタイミングで校名が改められている。 これは、学校のイメージを刷新したい意図があったと考えられる。
ただ、それだけではない可能性もある。 校名から「女子」を外した判断は、将来的な共学化を視野に入れた布石でもあったのではないか。 改称から40年を経て、2029年にその校名がようやく実態を伴うことになる。
地域にとっての意味――「男子の私立受験ができない地域」
伊那西の共学化が地域にもたらす最大の変化は、男子生徒に私立高校の選択肢が生まれることだ。
現在、上伊那・下伊那には男子が入学できる私立高校がほぼ存在しない。 他地域の私立を受験しようとすれば、
- 茅野市の東海大諏訪
- 松本市の私立各校
まで出向く必要がある。
たとえば、下伊那の阿南町から松本市まで通うと、片道2時間以上かかる。 「毎日通う」ことを前提にすると、現実的な選択肢とは言いにくい。
そのため、この地域の男子生徒は事実上「公立一本」で受験せざるを得なかった。 滑り止めとして私立を併願するという、全国的には一般的な戦略が機能していなかった。
ただし、伊那北・弥生(新・伊那高校)を目指す学力層と、現在の伊那西の学力層には一定の差がある。 進学特化型の上位コースを設けても、短期間で信頼を獲得するのは容易ではない。
それでも、「選択肢がゼロ」から「一つある」への変化は本質的だ。 受験の安心感という意味でも、地域の教育インフラとしての価値は大きい。
飯田女子の行方
伊那西の共学化が軌道に乗れば、次に注目されるのは姉妹校・飯田女子高等学校だ。 充足率はじわじわと低下し、令和7年度は76.3%。伊那西が数年前に経験した水準に近づいている。
飯田女子には、
- 飯田短大との内部進学ルート
- 浄土真宗コミュニティとの結びつき
- 高松学園の「本拠地校」としてのブランド
といった強みがあるため、女子校としての看板を守るインセンティブは伊那西より強い。
しかし、南信の地方都市で女子校を維持するには、少子化という構造的な壁がある。地域全体の人口規模が縮小するなかで、女子校ブランドだけで安定した志願者数を確保し続けるのは、年々難しくなっている。
こうした状況を踏まえると、伊那西の共学化が今後の学園全体の方針を考えるうえで、一つの「先行事例」として扱われる可能性は高い。伊那西での入学者数や教育成果が、数年後の飯田女子の判断材料になることも十分にあり得る。
おわりに――「ここまで続いたこと」の意味
冷静に見れば、長野県の地方都市で私立女子校が60年間存続してきたこと自体が驚異的だ。 長野市や松本市ではなく、飯田・伊那という中山間地域で二校もの女子校が続いてきた背景には、浄土真宗の地域コミュニティの存在が大きかったと考えられる。
その紐帯が少子化と世俗化によって弱まり、経営の現実が前面に出てきた結果が今回の共学化だ。 これは「終わり」ではなく、地域に根を張り続けるための適応と捉えるべきだろう。
2029年、伊那西が共学校として新たな一歩を踏み出すとき、この地域の教育地図は確実に変わり始める。
【出典】
・学校法人高松学園「令和6年度事業報告書」https://www.iida.ac.jp/assets/pdf/introduction/finance/jigyouhoukoku.pdf
・信学会グループ公式サイト「信学会70年の軌跡」https://shingakukai.ac.jp/70th/


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