松代高校の生徒数はなぜ急減したのか|旧第4通学区20年のデータ分析

地域別の学校研究

長野県内の高校の動向を追っていると、松代高校(長野市)の生徒数の落ち込みがひときわ目を引く。同校は2006年に夏の甲子園へ出場した野球部をはじめ、剣道部・柔道部など運動部が盛んで、「活気のある学校」という印象が強かった。しかし近年は野球部が単独でチームを組めず、他校との連合で大会に出場する状況にまで変化している。

そして、松代高校は商業科が更級農業・屋代南と統合され、普通科単独校となる計画が示されている。そこで、この20年間に松代高校で何が起きていたのかを、実際のデータをもとに確認していきたい。

旧第4通学区・7校の在籍者数を比較する

長野県教育委員会の「高等学校要覧」から、松代高校が属する旧第4通学区(長野市南部・千曲市・埴科郡)の高校について、平成16年度(2004)から令和7年度(2025)までの在籍生徒数(3学年合計)を5年/3年おきに並べた。

高校20042009201420192022202504→2519→25
長野南689589586585553550▲20%▲6%
篠ノ井899810761718716713▲21%▲1%
更級農業455452459459447381▲16%▲17%
屋代897855834830835834▲7%+0.5%
屋代南511326320351314299▲41%▲15%
坂城427414363241190166▲61%▲31%
松代667578583544354256▲62%▲53%

20年間の累計減少率だけを見ると、坂城(▲61%)と松代(▲62%)はほぼ同じように見える。しかし直近6年間(2019→2025)に限ると、松代だけが突出して減少している

長野南・篠ノ井・屋代:ほぼ横ばい
更級農業・屋代南:減少(▲17%・▲15%)
坂城:大幅減(▲31%)
松代:急減(▲53%)

つまり松代は「20年かけてじわじわ沈んだ」のではなく、2019年前後を境に一気に減少した学校だということがわかる。

「いつ、どう減ったか」で見える学校ごとの性質

同じ通学区で同じ少子化の波を受けているはずなのに、減少のタイミングは学校ごとにまったく違う。これは、各校を支えていた需要の性質が異なっていたためと考えると理解しやすい。

屋代南

屋代駅至近という利便性から、学区外からでも電車で通いやすい屋代南を優先的に選ぶ生徒が一定数いたと考えられる。しかし少子化が進み、遠方から通学する必要性が薄まると、こうした“利便性優先の需要”は縮小。それでも駅近という価値は残ったため、屋代南はその後300人前後で下げ止まったとみられる。

更級農業

2022年まで約450人で安定。これは、各学科1クラスの4学科構成が長らく続き、定員が変わらなかったことが大きな理由。近年の学科再編(4→3学科)で学級数が動き、2025年には381人まで減少した。

坂城

坂城町の地域校で、周辺に競合が少ない地域性に支えられ、少子化とともに20年かけて一貫して緩やかに減少。

長野南

更北・川中島地区という、比較的少子化が緩やかで人口が厚いエリアの唯一の高校で、母集団の大きさが下支え。校風以上に「近くに人が多い」という条件が効き、689→550人という緩やかな減少にとどまっている。

松代

学力レベルが突出していたわけではないが、部活動が活発であるように「活気のある校風」という魅力で一定の支持を受けていた。

急落した理由 ― 「魅力」という支えの脆さ

整理すると、屋代南は「立地」、坂城は「地域性」、長野南は「人口の厚さ」という、いずれも生徒数の増減に左右されにくい需要に支えられていた。

一方で松代を支えていた「部活・校風」という需要は、在籍生徒数そのものに依存する自己循環的な構造だった可能性が高い。

  • 部員が集まる → 部活が強くなる
  • 評判が上がる → 志願者が増える

しかし少子化で生徒数がじわじわ減り、部員数がある閾値を割った瞬間に均衡が逆回転する。

  • 部活が弱くなる
  • 評判が薄れる
  • あえて選ぶ理由がなくなる
  • 志願者がさらに減る

地域性や人口の厚さに支えられた学校は母集団の減少に合わせて緩やかに減るだけだが、松代のように「規模が支えを維持する」構造だと、均衡が崩れた瞬間に非連続的な崖が生まれる。2019年前後の急落はこの仮説と整合的だ。

象徴的なのが冒頭で述べた野球部の変遷である。OBにはプロで活躍した元楽天の聖澤選手がいる。そして2006年には甲子園にも出場した。それが20年足らずで単独チームを組めなくなった。強豪だった剣道部・柔道部も、近年は目立った実績が聞かれない。

屋代南との生徒数逆転が示す「支えの質」の違い

直近の数字はこの構造の違いを裏付ける。

  • 2019年:屋代南351人/松代544人(松代が大きい)
  • 2022年:屋代南314人/松代354人(差が縮小)
  • 2025年:屋代南299人/松代256人(ついに逆転)

屋代南は利便性という下支えが残り300人前後で踏みとどまる一方、松代は支えが弱くなった後に代わりとなる需要(交通利便性・人口の厚さ)がなく、下げ止まる床がないまま沈み続けてしまった。

かつて松代を大きく下回っていた屋代南が松代を上回ったという事実そのものが、両校を支えていた需要の「質」の違いを雄弁に物語る。

もう一つの「もしも」― 移転先の選択

最後に、松代高校の立地についても触れておきたい。

かつての松代高校は松代の中心部である現在の真田公園の場所にあったが、手狭になったことで、昭和43(1968)年に現在の西条地区へ移っている。しかし、移転した現校地は松代の中心部からは離れた奥まった位置にあり、決して交通の便が良い立地とは言えない。

この移転先の選定が交通利便性の面で不利な要因となり、長年「魅力」によって覆い隠されてきた立地のハンディキャップが、その支えが崩れたことで表面化した可能性がある。

では、より多くの生徒にとって通いやすい適地はなかったのか。そう考えると、現在長野ICがある西寺尾地区が一つの候補になり得たように思える。西寺尾は千曲川に近く、松代地区の住民はもちろん、対岸の篠ノ井・川中島・更北方面の住民にとってもアクセスしやすい位置にある。現在は高速道路の開通によってホテルや商業施設が立地しているが、これは裏を返せば農地から他用途への転用が進み、広い敷地を確保できる土地だったという事実でもある。学校用地としても十分成立し得た場所だったと考えられる。

もしこのエリアに校地を構えていれば、松代地区と千曲川対岸の双方から通いやすいという“立地の支え”が「魅力」に加わり、松代高校は今とは違う姿になっていたかもしれない。

もっとも、これは検証のしようがない歴史の if にすぎないことは付言しておく。

【出典】地理院地図(国土地理院)を加工して筆者作成

おわりに

商業科が更級農業・屋代南と統合され、普通科単独校として残ることになった松代高校。しかしデータを追うと、その落ち込みは一朝一夕ではなく、立地という初期条件の不利を部活動と伝統の評判で長年覆い隠してきた結果、その均衡が崩れた瞬間に一気に表面化した可能性が見えてくる。

2019年前後の急落はデータに明確に刻まれている一方、その背景にあるメカニズム(部活動の評判の変化や悪循環)は状況証拠からの推測にとどまる。ただ、甲子園出場校が連合チームでしか大会に出られなくなった変化の裏には、こうした構造的要因が積み重なっていた可能性がある。

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