長野県における新設高校の校名について考えてみる

歴史と教育

長野県には、昭和後期の生徒数増加に伴って新設された高校がいくつかある。

新設校である以上、校名についても比較的自由に決められたはずだ。それにもかかわらず、「どうしてこの名前になった?」と思わず首をかしげてしまう校名がいくつか存在する。

なぜ、その名前に違和感を覚えるのだろうか。校名が決まった背景や当時の事情をたどりながら、その理由を丁寧に考えてみたい。そして最後には、「では、どんな名前にすればよかったのか」まで考察してみる。

対象となる新設校は次の7校である。(統合新設は対象外)

  • 中野西(中野市)
  • 長野東(長野市)
  • 長野南(長野市)
  • 下諏訪向陽(下諏訪町)
  • 田川(塩尻市)
  • 松本筑摩(松本市)
  • 明科(安曇野市)

対象7校の考察

まずは全体像を一覧にしておく。

※「評価」は本文の論旨にもとづく筆者の判断
校名 開校 所在 考察 評価
中野西 1984(S59) 中野市 長野西と「市名+同方角」で二重に紛らわしい 配慮余地あり
長野東 1974(S49) 長野市大豆島 川を挟んだ至近に須坂東。「東高」が特定しづらい 配慮余地あり
長野南 1983(S58) 長野市稲里町 同一旧学区に屋代南あり「南」が重複 配慮余地あり
下諏訪向陽 1980(S55) 下諏訪町 佳字で印象良好。単独校で混同なし 良い
田川 1982(S57) 塩尻市広丘吉田 川の名が由来だが全国的には無名 議論あり
松本筑摩 1970(S45) 松本市 中信の歴史的呼称で風格あり。混同は軽微 良い
明科 1986(S61) 安曇野市明科 町名そのまま。特段の問題なし 良い

配慮余地あり:「方角名」が衝突する北信の3校

「配慮余地あり」と評価する北信の3校に共通するのは、方角名ゆえに近隣の同方角校と混同が生じている点だ。しかも、それが名前をゼロから選べる新設という好機に起きている。下の図は、その衝突を模式的に示したものだ。

北信に生じた3つの「同方角」衝突(模式図)

北信に生じた3つの「同方角」衝突(模式図)

N 千曲川 屋島橋 中野西 中野市 長野西 長野市箱清水 長野東 長野市大豆島 須坂東 須坂市 長野南 長野市稲里町 屋代南 千曲市屋代 類似市名+同方角 川を挟んで至近 同一通学区で重複
位置関係は実際の方位に合わせた模式図(正確な縮尺ではない)
中野西

同じ北信に既存校の長野西がある。長野市と中野市というだけでも紛らわしいのに、高校名まで「西」を重ねた。地元では「中西」の呼称で定着したが、これは裏を返せば、「西高」という呼称が実用的な運用に耐えられなかった証でもある。新設校として校名の配慮の余地は十分にあった。

長野東

長野東は長野市大豆島に所在し、近くの屋島橋を渡れば須坂市。須坂市や長野市東部の住民からすれば、長野東も須坂東もどちらも身近な「東高」で、特定しづらい。川を挟んで至近距離に「東」を二つ並べた時点で、配慮の欠如は明らかだ。

長野南

同じ旧第4通学区に屋代南が既に存在していた。同一通学区に「南」を重複させた結果、「南高」の略称は使えず「屋南」「長南」で運用せざるを得なくなった。話者の地域で切り分けられないぶん、3校の中でも批判の妥当性は最も高い。

良い/議論あり:4校の考察

下諏訪向陽

「向陽」は県外の校名でも使われる例があるが、陽に向かうという佳字で、明るく良い印象を与える。下諏訪町唯一の高校のためシンプルに「下諏訪高校」でもよかったともいえるが、批判するほどのことでもない。

田川

田川沿いだから田川。あえて地名を付けないユニークさはおもしろい。しかし田川は全国的には無名で「どこ?」となる。しかも福岡県にも同名の「田川高校」が存在し重複する。じつはこの一校には、後の地域文化の話につながる論点があり、次章で回収する。

松本筑摩

「筑摩」は中信を広く示す古くからの呼称で、風格がある。既存校の上田千曲と音は同じ「ちくま」だが、表記が違うので実害は軽微。定時制統合という出自における、立派な校名が付けられたと言える。

明科

明科町にあるから明科高校。これはシンプルに地名由来で、特段の問題はない。

北信は「方角文化」、中信は「雅称文化」

一校ずつ見ていくうちに、ある地域差に気づいた。校名の付け方には、地域ごとに「違い」がある。

長野市を中心とした北信地区は校名に方角を付ける傾向がある。一方の松本市を中心とした中信地区は、校名に方角を付ける例は少なく、地名などを由来とした雅称を付ける傾向がある。

長野

北信

方角文化

市内に長野西・長野東・長野南が揃う。周辺にも中野西・須坂東・屋代南。方角名が標準装備で、混同を精査せず新設校も方角で処理した。

松本

中信

雅称文化

市内は深志・県ヶ丘・蟻ヶ崎・美須々ヶ丘・筑摩。地名や地勢・雅称で差別化する作法が根づき、方角名は少ない。

ここで田川の話に戻る。

中信は元々方角名がほとんどなかったから、「塩尻北」とすれば一意で明快。
最も近い方角名は諏訪地域の岡谷東・南となるが、「北」ではないので衝突しない。
問題なく方角名を使えた地区でありながら、わざわざ全国的に無名な川の名前を選んだ——そう考えると田川は惜しい。実は校名の候補には「塩尻北」「松本南」などが挙がったが、塩尻市と松本市の市境という立地ゆえの利害対立でまとまらず、近くを流れる田川に落ち着いた、とも聞く。方角名の「塩尻北」は、絵空事ではなく現実の選択肢だったわけだ。

もっとも、田川に決定したのは「中信には方角名を持ち込まない」という地域の美学に沿った結果なのかもしれない。これは明文化された方針というより、深志を頂点とする松本の伝統が生んだ創発的な慣習なのだと思う。

命名のセンスは、校名の「寿命」まで左右する

地名由来の校名には、もう一つ興味深い論点がある。改称だ。

長野県の地域トップ校の校名は、「長野高校」「上田高校」「飯田高校」のように、市名をそのまま校名にしているケースが多いが、いずれも改称した結果であり、元は別の校名であった。

「長野北高校」を名乗っていた長野高校は方角名を省いた例だが、上田高校と飯田高校は「上田松尾高校」「飯田高松高校」という校名であり、所在地の地名をそのまま使っていたケースであった。一方で、地名を佳字へと昇華させた松本深志や諏訪清陵などは、現在も改称されずに使われている。改称された校名は、松尾も高松も名字めいた平凡さから定着には至らなかったのではないかと考えている。

逆に言えば、深志・清陵は生の地名をひと工夫して格式へ高めた、センスの良い校名だったのだと言えよう。

代案を本気で考える

センスのなさを指摘するだけでは芸がない。配慮の余地があった北信3校に代案を考えたい。ヒントは各校の文化祭の名称にある。これがどれもセンスがいい。文化祭名は、当事者が「自分たちの学校をどう呼びたいか」を込めて練り上げた、いわば現場が出した理想の校名案なのだ。

長野南 → 長野南稜(南稜祭)本命

文化祭「南稜祭」より。「稜」は山稜・稜線の稜で、千曲川流域から望む山並みの地勢を背負い、音は清陵と同様に格式を感じる。何より、元の「南」という方角情報を保持しながら情緒を上乗せできている。場所が分かる機能を捨てずに格式を足す——北信3校に欠けていたものを一語で埋めている。屋代南との混同も起きない。

長野東 → 長野東雲(東雲祭)本命

文化祭「東雲祭」より。東雲(しののめ)は明け方の東の空を指す古語。「東」を残しながら文学性が一気に立ち上がり、万葉以来の言葉だから格式も申し分ない。須坂東との混同も解消。難読である点と、固有性で南稜にわずかに譲る点はあるが、響きの美しさは抜群だ。

中野西 → ?保留

文化祭「翔舞祭」は祝祭感が最高だが、校名には派手すぎ、かつ土地への接地がない。地勢に寄せようにも、高社山は市北部で西部立地と方角が合わない。校章のイヌワシに関連づける手もありそうだが、これという一語は思いつかなかった。ここは正直に保留とする。

長野南、もう一つの候補:川中島

南稜とは別に「川中島高校」も捨てがたい。歴史ある郷土的な名称で知名度も高く、川中島平という盆地呼称も古戦場も実在する。物語性では深志に並ぶ系譜だ。だが——最大のネックが駅名との不一致。校名と駅名が一致すると人はその駅を最寄りと推定するが、長野南高校は川中島駅から遠い。これは「名前が誤った情報を発信する」問題で、せっかく混同を論じてきた以上、新たな混同を持ち込む案は評価を下げざるを得ない。

整理すると、川中島は情緒では南稜に並ぶ——いや、歴史の重みでは上回るかもしれない——が、駅名不一致という実用の減点を抱える。対して南稜は、方角の機能を残したまま情緒を足し、何も犠牲にしていない。トレードオフのない解が一つあるなら、それを呑む解より強い。よって本命は南稜、というのが私の結論だ。

名前に込められたはずの物語

長野南稜高校、長野東雲高校。口に出してみると、本当にそう名付けられていてほしかったと思える響きだ。

新設というのは、本来、既存校の制約を引きずらず名前をゼロから選べる、最も自由な機会だったはずだ。そこで座標ラベルに手を伸ばしてしまった北信3校は、やはり惜しい。

深志や清陵のように、土地の物語を一語に込めることができていたら、あの3校も今ごろ、もう少し誇らしく、愛着を持って呼ばれていたかもしれない。

センスのなさを嘆くだけでなく、駅との整合まで含めて代案を考える——本来それは、最初に名付けた側にこそ求められた仕事だったはずだ。

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