須坂市にある相森中学校。「あいもり」と誤読してしまいそうですが、読み方は「おおもり」中学校です。
地元の方にはおなじみの名前でしょうが、初めて見ると、なかなか読めないのではないでしょうか。なぜ「相」を「おお」と読むのでしょうか。
まず、これは地名である
はじめに押さえておきたいのは、相森という名前が、学校のために作られたものではないということです。
学校が所在する一帯は「相森町」と呼ばれ、近くには同じ名を冠した神社もあります。地名が先にあって、学校がそれを名乗った。順序はこちらです。
というわけで、その神社を訪ねてみました。

現地の由緒板に書かれていたこと
相杜神社。鳥居の扁額にも、その四文字が掲げられています。
境内の由緒板によると、祭神はタケミナカタの神と、オオウチコウキヒメ(オトヒメ)の二神。相森新田ができたときに諏訪大明神をまつり、その後、悲恋の物語の主人公である京の公家のオトヒメの霊を慰めるため、合わせてまつったといいます。刀匠・備前長船兼光の作と伝える脇差が神宝とのことです。
土地の名前が、逢えなかった姫の物語と結びついている。地名の由来として印象に残る話です。
ただし、この伝説だけでは「おおもり」という読み方の説明になりません。
そして由緒板を見ていて、もうひとつ、思わぬものが目に留まりました。
社名に振られたふりがなです。

相杜神社(おうもりじんじゃ)
「おお」ではなく、「おう」。
学校は「おおもり」、神社の由緒板は「おうもり」。同じ地名の読みが、揺れています。
「相」を「あふ」と読む
この揺れが、手掛かりになります。
現代の一般的な読み方なら「ソウ」「ショウ」「あい」です。「相談」「首相」「相手」。「あう」という読みは、まず出てきません。
ところが『万葉集』を見ると、事情が変わります。
巻11・2544番歌の漢字本文には「相縁毛無」とあり、これは次のように読み下されています。
相縁毛無 → 逢ふよしもなし
「相」が「逢ふ」に対応している。古い用法として、「相」を「あふ」と読むことは確かにありました。
そして、より直接の手掛かりが地名にあります。
京都と近江の境にある逢坂山。『万葉集』の原文では、この山は「相坂山」と書かれています。そして同じ歌集の中に、「安布左可山」と万葉仮名で書いた歌もあります。
万葉仮名は音を写すための表記です。「安布左可」は「あふさか」以外に読みようがありません。同じ山の二つの書き方が並んでいることで、「相坂」の「相」が「あふ」であることが確定します。
辞書の中の話ではありません。「相」と書いて「あふ」と読む地名が、実際にあったのです。
ここで一つ、押さえておきたいことがあります。
「相坂」と「逢坂」は、どちらかが古くてどちらかが新しい、という関係ではありません。どちらも長く使われてきました。平安期の勅撰集では逢坂が目立ちますが、鎌倉期の藤原定家は相坂と書くことが多かったと言われます。
つまり、書き換えが起きたわけではない。「あふ」という言葉を漢字で書くのに、「相」も「逢」も使えた、というだけです。逢坂関には合坂・会坂という表記もあります。どれも同じ音を書くための選択肢でした。
そう考えると、相森についても見え方が変わります。
須坂市が紹介する地域資料には、乙姫の伝説を語るなかで「逢森(相森)の地」という表記が現れます。相森と逢森。どちらが先かを問う必要はないのかもしれません。逢坂と同じように、はじめから両方が使えたと考えれば足ります。
ただし、こちらは確かさの度合いが違います。逢坂の併存は古い文献で追えますが、逢森が確認できるのは平成8年に編集された郷土誌だけです。しかも「逢えなかった」物語を語る文脈にあり、書き手が選んだ表記である可能性も残ります。手掛かりのひとつ、という程度に留めておくべきでしょう。
動いたのは字ではなく、音
そして逢坂山は、現在「おうさかやま」と読まれています。
ここで注意したいのは、変わったのが読みだけだということです。表記は動いていません。相坂も逢坂も、昔からある字のままです。「相」という字が「おお」を呼び込んだのではなく、「あふさか」という音がオーに変わり、字はそれに付き合っただけです。
「あふ」がオーになるのは、特殊な現象ではありません。蝶(てふ→ちょう)、今日(けふ→きょう)と同じ、規則的な音の変化です。
現代語の「逢う」が今も「あう」なのは、動詞として使われ続けたからです。地名の中に取り込まれると動詞の意識が薄れ、音の変化がそのまま進みます。「逢瀬」が「おうせ」になるのと同じです。
相森も、同じ道筋だとすれば。
相森(あふもり)→ 相森(おうもり)
字は「相森」のまま、読みだけが動く。そう考えると、漢字と現在の発音が離れて見える理由が説明できます。
「おう」から「おお」へ
ただし、これで終わりではありません。現在の読みは「おおもり」だからです。
ここで仮名の書き方が効いてきます。
「あふ」に由来するオーの音は、現代仮名遣いでは原則「おう」と書きます。逢坂が「おうさか」であるように。一方、「おお」と書くのは、もともと「おほ」「を」だった語です。大きい、氷、遠い。
規則どおりなら、相森は「おうもり」になるはずです。
由緒板のふりがなは、まさにそう振られていました。
そして「おう」と「おお」は、現代語では発音が同じです。どちらもオーと伸ばす音で、耳では区別がつきません。違うのは書き方だけ。
とすれば、この段で起きたのは音の変化ではなく、仮名の書き方が移ったことだと考えられます。誰かが読み違えたというより、耳から伝わってきたオーの音を仮名に起こす段になって、「おう」ではなく「おお」が選ばれた。そういう経緯かもしれません。
相森(あふもり)→ 相森(おうもり)→ 相森(おおもり)
一段目は音が変わり、二段目は書き方が変わる。性質の違う二つの変化が重なっているぶん、漢字と現在の読みの距離が開いた。そう並べると、筋が通って見えてきます。

それでも、確定はできない
ただし、ここで「由来が解明できた」とするのは早計です。
由緒板は現代に設置された解説板であり、昔の住民がそう発音していたことを示す古文書ではありません。示しているのは、「現在この地で”おうもり”と書かれている例がある」ということまでです。逢坂山には「安布左可山」という万葉仮名の裏づけがありましたが、相森について、それにあたるものは見つかっていません。
また、「おう」から「おお」への移行も、順序として自然だというだけで、証明されたものではありません。現在の通用は「おおもり」のほうが優勢です。学校名がそうですし、須坂市の文化財紹介も、この神社を「おおもりじんじゃ」と振っています。現地の看板と市の資料とで読みが分かれている、という状態が確認できるところまでです。かりに元が「あふもり」だったとしても、どこかで「おお」に寄っていったのか、あるいは初めから両方あったのか、そこは分かりません。
別の可能性も残ります。もともと「大森」のような地名があり、「相」は後からの当て字だという筋道です。ただ、この場合はむしろ「おお」が本来ということになり、由緒板の「おう」が説明しにくくなります。「相坂山」という実例がある以上、別語からの当て字を想定しなくても話は通ります。
確かめるとすれば、古い仮名表記を探すことになります。『角川日本地名大辞典 長野県』や『日本歴史地名大系』は仮名見出しを立てているはずですし、『須坂市誌』、明治期の長野県町村誌という手もあります。ひとつでも古い表記が取れれば、この記事は「仮説」から一歩進めるはずです。
校章に残るもの
最後に、学校の話へ戻ります。
学校の公式サイトによると、昭和23年(1948年)に制定された校章は、白鳩を象徴したものです。その白鳩は、相杜神社の鳩と、平和の象徴としての鳩という考えを基に作られたと説明されています。図案化にあたっては、平和追求のためにたくましくという思いから「相中」の字を太めにしたそうです。
名前だけでなく、校章にも神社とのつながりがありました。
「相森は、おおもりと読む」。
読み方を知るだけなら、それで終わりです。しかし「なぜその字で、その読み方なのか」と立ち止まると、調べる対象はずいぶん広がります。
今回、読み方の成立を確定するところまでは至りませんでした。それでも、「相」と書いて「あふ」と読む地名が実在したこと、そしてその規則どおりの「おうもり」という表記が現地に残っていること。ここまで分かると、初めは不思議にしか見えなかった校名に、一つの見通しができたように感じます。
学校名は、学校そのものだけでなく、その土地を知る入口にもなるのだと思います。
- 相杜神社 境内由緒板(現地で撮影)
- 『万葉集』巻11・2544番歌、および逢坂山の表記(原文の「相坂山」と、万葉仮名の「安布左可山」)
- 須坂市ホームページ「相杜神社」相杜神社/須坂市ホームページ – 長野県須坂市
(原典:『ふるさと今昔』日滝地域づくり推進委員会 平成8年度 編集/須坂市日滝地域公民館 発行) - 須坂市立相森中学校 公式サイト「学校紹介」
須坂市立相森中学校 | Suzaka Municipal Omori Junior High School 公式ホームページ



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