朝の松本駅。電車を降りた高校生や中学生が、駅前からそれぞれの学校へ散っていきます。歩くには少し遠く、バスは雨の日ほど混んで遅れる。そんな通学路の一部を、かつて電車が走っていたことをご存じでしょうか。
1964年まで、松本駅前から浅間温泉まで「松本電気鉄道浅間線」という電車が走っていました。この記事では、もし浅間線が今も残っていたら、沿線の学校に通う生徒たちの毎日はどう変わっていたのかを考えてみます。
浅間線とはどんな路線だったか
浅間線は、1924年(大正13年)4月19日に筑摩電気鉄道が開業した、松本駅前と浅間温泉を結ぶ全長5.3kmの電車です。後に松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)の路線となり、1964年(昭和39年)4月1日に廃止されました。
駅前から市街地をほぼ東へ進み、「学校前」で北へ折れて「横田」などを経て浅間温泉に至る路線で、駅は全部で18ありました。1961年当時は全区間を18分で結び、日中は10分間隔で走っていました。今の基準で見ても、十分に「使える」運行本数です。

駅前からほぼ東へ進む学校前までの1.6kmが道路上の併用軌道、そこから北へ折れて浅間温泉に向かう3.7kmは専用の線路でした。沿線の学校や施設は現在のもので、最寄りの旧駅の横に示しています。
廃止後は、ほぼ同じ経路を路線バスが引き継ぎました。このバスは今も松本市内で基幹的な路線の一つです。この区間に移動の需要があることは、今も変わっていません。
弱点は全線の一部、松本駅からの1.6kmだった
浅間線の弱点は、松本駅前から学校前までの1.6kmが道路上を走る「併用軌道」だったことです。この区間は国道143号と県道63号の上に線路が敷かれ、車が増えるほど渋滞に巻き込まれました。廃止は、バスに押された乗客減に加え、駅前通りの渋滞解消も目的とされています。
一方、学校前から浅間温泉までの3.7kmは、道路から切り離された専用の線路でした。つまり全線の7割は、もともと普通の電車と同じように走れる区間だったのです。
ここで参考になるのが、同じ長野県の長野電鉄です。長電もかつては長野の市街地を地上で走っていました。1981年(昭和56年)に長野〜善光寺下間が地下化され、地上の線路跡は長野大通りという道路に生まれ変わっています。
浅間線も、駅前の1.6kmを同じように地下化するか、道路と切り離していれば、生き残る道があったかもしれません。もちろん当時の松本の財政や会社の規模を考えれば、簡単な話ではありません。それでも、弱点が全線のごく一部に限られていたことは、考える価値のある「もしも」だと思います。
なぜ別所線は残り、浅間線は消えたのか
同じ長野県に、浅間線とよく似た路線が今も走っています。上田駅から別所温泉までを結ぶ上田電鉄別所線です。
- 形: 地方都市の中心駅から温泉地へ延びる路線。
- 時代: 開業は1921年で、浅間線(1924年)とほぼ同じ時期。
- 会社: 複数の路線を持つ地元の私鉄の一路線。
沿線の条件だけを比べれば、市街地を通り、学校や大学・病院が並ぶ浅間線の方が恵まれていたとも言えます。それでも現実には、浅間線は1964年に廃止され、別所線は今も走っています。何が二つの路線の運命を分けたのでしょうか。
併用軌道が「廃止の理由」になった
別所線にも、かつては市街地の道路上を走る区間がありました。しかしその区間は1927年に専用の線路へ移されています。
一方の浅間線は、最後まで駅前の国道の上を走り続けました。廃止の目的には、駅前通りの渋滞解消が挙げられています。車が増えるほど、道路上の線路は「邪魔者」になっていきます。
危機を迎えた時期の違い
浅間線が廃止された1964年は、全国で路面電車が次々と姿を消していた時期です。
別所線に廃止・バス転換の方針が示されたのは1973年でした。翌1974年から国・県・上田市の補助金が出て、存続が決まります。その後も上田市の支援や住民の活動が続き、2019年の台風で千曲川の橋が崩落したときも、2021年に全線で運行を再開しています。
運命を分けたもの
併用軌道は、車社会の中で浅間線を真っ先に廃止の対象にしました。しかもそれは、地方の鉄道を公的に支える流れが生まれる前の出来事でした。駅前のわずか1.6kmと、廃止の話が出た時期。この二つが重なったことが、浅間線と別所線の運命を分けたのだと思います。
沿線の学校から見た浅間線
浅間線の沿線には、今も多くの学校が並んでいます。駅からの距離によって、電車があった場合の意味合いは大きく変わります。
| 学校 | 最寄りの旧駅 | 松本駅からの距離 | 駅から歩いて通えるか |
|---|---|---|---|
| 松本秀峰中等教育学校 | 学校前 | 約1.4km | 歩けるが遠い(中学生の年齢から通学) |
| 松本県ヶ丘高校 | 学校前 | 約1.9km | 歩けるが遠い |
| 松商学園高校 | 学校前 | 約2.0km | 歩けるが遠い |
| エクセラン高校 | 学校前 | 約2.2km | 歩けるが遠い |
| 信州大学松本キャンパス | 自動車学校前〜玄向寺口 | 約3.2km (正門) | 難しい |
| 松本美須々ヶ丘高校 | 玄向寺口 | 約3.2km | 難しい |
| 松本第一高校 | 運動場前 | 約4.2km | 難しい |
松本県ヶ丘・松商学園・エクセラン:歩けなくはないが、電車があれば乗る
県ヶ丘や松商は、松本駅からおよそ2kmです。徒歩なら20〜25分。毎日歩くには少し長く、かといって自転車を駅に置くかといったら悩みそうな、絶妙な距離です。駅で降りてそのまま乗り継げる電車があれば、多くの生徒が乗っていたはずです。
松本秀峰中等教育学校:旧「学校前」駅のすぐ近く
中等教育学校の秀峰には、中学生の年齢の生徒も通っています。遠方から電車で松本に来て、そこから約1.6kmを歩くか、バスに乗るか。雨や雪の日、重いかばんを持った12歳には決して楽な道のりではありません。
年齢を考えると自転車通学も現実的ではなく、選択肢は実質バスに限られます。そして秀峰があるのは、かつての「学校前」駅のすぐ近くです。駅前から学校前までの1.6kmは、まさに浅間線の併用軌道区間と重なります。
松本美須々ヶ丘・松本第一:歩いては通えない
浅間温泉寄りにある美須々ヶ丘や第一は、駅から歩くことはほぼ考えられません。選択肢は自転車かバスです。
問題は雨の日です。自転車の生徒がバスに移ると、バスは満員になり、道路の混雑で遅れます。一番必要な日に、バスが一番弱くなるのです。冬の朝の路面凍結も、自転車通学には大きな不安です。
専用の線路を走る電車なら、雨でも雪でも時刻はほぼ変わらず、急に増えた乗客も受け止められます。しかも学校前から先は、もともと専用の線路だった区間です。
バスは「見えない」
今はバスが浅間線の役割を担っています。ただ、バスは遅れるし、見えない。線路がないので、どこを走っているのかも、今どのあたりにいるのかも分かりにくいのです。電車なら、線路そのものが「ここを通る」という看板になり、時刻もほぼ正確です。毎日同じ時間に確実に着きたい通学では、この差は大きいはずです。
信州大学と附属病院:朝だけでなく日中も
沿線には信州大学の松本キャンパスと附属病院もあります。大学生の授業は時間帯がばらけ、病院には患者さんやお見舞いの人が一日じゅう訪れます。
高校生の需要が朝と夕方に集中するのに対して、大学と病院は日中の乗客を支えます。車を運転できない高齢の通院者にとっても、駅から乗り換え一つで行ける電車は心強い存在だったはずです。
浅間温泉と観光:休日も走る理由がある
終点の浅間温泉は、松本の奧座敷とも呼ばれる温泉地です。温泉客や観光客は、通学とは逆の時間帯や土曜・休日に動きます。
通学、大学と病院、温泉と、利用される時間帯がずれて重なっているのが、この路線の強みです。朝は生徒で満員、昼間や休日は空っぽ、という通学専用の路線にはならず、一日を通して乗客が見込めます。
駅前から温泉街まで電車一本で行けるというのは、観光地としても大きな魅力です。温泉街に電車が入っていく風景そのものが、今なら観光の目玉になっていたかもしれません。
もしも上高地線とつながっていたら
さらに想像を広げてみます。浅間線は、上高地線(松本〜新島々、約14.4km)と同じ松本電鉄の路線でした。実際に直通する計画があったわけではありませんが、もし松本駅を介してつながっていたら、新島々から浅間温泉まで約20kmの一本の路線になります。
そうなると、波田や新村など松本の西側から通う生徒も、乗り換えなしで沿線の学校に行けたことになります。秀峰や美須々ヶ丘に通う生徒にとっては、松本駅での乗り換えがなくなるだけでも大きな違いです。
この姿は、先ほどの長野電鉄長野線によく似ています。

松電の直通線は約20km、長電長野線は約33km。規模は違っても、市街地から温泉や山の玄関口へ延びる形はよく似ています。
もちろん違いもあります。長電長野線は約33kmあり、須坂や中野といった市と市を結びます。松電の直通線はその6割ほどの長さで、松本という一つの都市圏を貫く路線に近くなります。それでも「松本版の長電」というイメージは、十分に成り立つと思います。
おわりに:「学校前」という駅名
浅間線にはかつて「学校前」という駅がありました。その駅のすぐ近くに、今は中学生の年齢の子どもたちが通う学校があります。いちばん電車を必要としていそうな生徒たちが、駅名どおりの場所にいるのは、なんとも皮肉な巡り合わせです。
浅間線の最大の弱点は、駅前のわずか1.6kmでした。一方で、駅前から浅間温泉までの沿線には、県ヶ丘や松商、秀峰、信州大学、美須々ヶ丘や第一、そして浅間温泉へと、今も多くの人が行き来しています。
併用軌道だった以上、残すのは現実には難しかったのかもしれません。それでも、この5.3kmを電車が走っていたら、松本の学生たちの朝はもう少し楽で、確かなものになっていたのではないでしょうか。


コメント